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2007年03月10日

大相撲「八百長」疑惑

 相撲協会が週刊誌の「八百長」報道に名誉毀損で告訴した。熱烈なファンでないが、やはり相撲は真剣勝負であって欲しいと思う。もしこれが仕組まれたショーだとしたら、千秋楽にもつれ込んだ優勝争いの結果を気にしたり、スポーツニュースの類も全く見なくなるだろう。

 取り組み前に紅潮させた顔をタオルで拭き、塩を撒いて回しをポンポンと叩き、いつも真剣勝負の朝青龍の姿が好きだ。相撲道がどのようなものかは知らないが、時にガッツポーズをしたり、闘志むき出しの姿が横綱の品性に欠けると非難されることもある。土俵外のことはともかく、このようなことも含めて私は好きだ。これがもしショーだとしたら、とんだ役者だ。そうでないことを信じている。

 あらゆるスポーツ競技が真剣勝負でなくなったら、もはや競技ではなくなる。しかし、民俗学者の大月隆寛氏の書いた記事が興味を引いたのでご紹介したい。さしずめ、私は野暮な客ということか。

――今度は大相撲です。何が、って「八百長」の話。週刊誌の「八百長」報道に相撲協会が名誉毀損で正式告訴。賠償請求額が4億3000万円というからおだやかじゃない。でも、事の真偽にはあたしゃ、正直あまり興味がありません。

 気になっていることがひとつ。その「八百長」というもの言いを振り回して批判している側は、さて、ならば相撲がどうなることを望んでいるのだろう、ということです。毎回毎回ガチンコでぶつかり、その結果、ケガをしたり壊れたりする力士が続出するようになるのも仕方ない、ということでしょうか。通年の6場所興業、その間に巡業もはさむ過酷なスケジュールで仕事として見てゆかねばならない側を思えば、そうなんでもかんでも「八百長」と言いつのって批判するのも、なんだかなあ、です。

 「興業」というもの言いにはらまれている微妙な“あや”や“呼吸”といったものが、忘れられているような気がします。あえて言い換えれば「ショー」でしょうか。ならばその興業として、ショーとしての「公正」とはいま、どういうものか、というのが、実は今回、本質的に問われていることです。

 「興業」は一発勝負ではない。ショー・マスト・ゴー・オン、続けなければならない仕事、稼業でもあります。相撲も野球も、サッカーも競馬も、「プロ」スポーツという側面を必ず持っている。そんな興業も織り込んだ上での「プロ」の技、真剣な「ショー」の〈リアル〉を愉しむ器量さえも、あたしたち観客が失ってしまっては、それこそ野暮の骨頂。野暮な客しかいなくなった興業ほどつまらないものはありません。――(07/03/07 産経新聞朝刊 民俗学者・大月隆寛)

投稿者 golf : 2007年03月10日 15:14

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